公開初日に観てきました。『母と暮せば』。1年、ずっと待ちに待っていたけど、こうしてようやく劇場で観ることができる喜びを噛み締めていました。これから何度か観に行く予定なので、ちゃんと想いをまとめて、理解してから感想は書こうかと思っていたんですけど、とりあえず初めて観たこの感想を書き留めておきたいと思い、簡単ではありますが走り書き程度に。


※かなりのネタバレを含みますのでまだ観ていない方はくれぐれもご注意ください。








まず、最初に飛び込んできた「吉永小百合 二宮和也」の時点からもう目には涙が。本当にすごいお仕事を引き受けたなぁって、感無量の想いでした。

原爆が長崎に落とされる様子、落とされた瞬間の様子。その悲惨さに、浩二くんと一緒に死んだ大勢の人達は、どれほど悔しかっただろう、と思いました。先生のように、意識があって苦しみながら死んでいった人もいれば、浩二くんのように何も考える暇もなく、ほんの一瞬で命を奪われる人もいる。その事実を改めて感じました。お母さんの言う通り、運命なんかじゃないんだと。人間が起こした、やってはならない悲劇だったんだと。



この映画の主人公は、実は町子なんじゃないかと、初めて観てそう感じました。友達はみんな死んでしまって、自分だけが生き残った。恋人の浩二も原爆で亡くなってしまった。その悲しみは絶対に心から消えるはずはないのに、それでも自分の人生を生きていかないといけない少女の苦しみが映画全体に溢れていて、本当に胸が苦しかったです。こうして書いてる間にも涙を抑えることができないくらい、映画館ではいっぱい、いっぱい泣きました。抑えることができない、そのくらい町子の想いがひしひしと伝わってきて。

浩二とお母さんが町子を想い、決心し、町子は他の男性と浩二のいない生涯を送る決意をします。お母さんが祭壇の写真の浩二に報告をしようとして言葉を詰まらせてしまうシーン。お母さんだって、本当はずっと浩二の妻として、そう信じて生きていきたかったはずです。でもそういうわけにはいかない、その葛藤が思わず溢れ出る場面に胸が張り裂けそうで。家を出ようとする町子がお母さんの元に駆け寄り、抱きつき、「ごめんなさい」と泣きつくその場面が、この映画の中で一番印象的で、スクリーンを見てられないくらい、涙が止まりませんでした。音楽も相俟って、原爆によって残された人間の過酷さというものを見せつけられたような感じがしました。



浩二は、母が作り出した幻影だと捉えたという方の評論を読みました。実際に監督がどういう想いで作られたのかは置いて、私は実際に浩二くんが母の元を訪れていたのだと感じました。この映画の冒頭、浩二くんが亡霊となってお母さんの前に現れた時に、家を訪れた少年が浩二くんの姿を見て微笑んでいるシーンに違和感を覚えました。どういった意味なんだろう、と。そして一番最後のお母さんと浩二くんが二人で教会を歩むシーンで、ああそういうことか、と。女の子がお母さんの姿を見て手を振っています。確かに二人はそこに存在していたんだ、というメッセージだったんじゃないかと感じました。むしろ、お母さんは浩二のことを諦めると言ったその日に、もう既に死んでいたのではないかと。メタファー的な解釈になってしまうんですけど、なんだかそう捉えてしまいます。浩二が現れてから、ずっと思い出話に花を咲かせる二人。もう既に死の世界に足を踏み入れている、浩二くんが迎えにきてくれた、ということかな、と。
だからこそ浩二くんは町子ではなくお母さんの元へ姿を現したのではないかと。


浩二くんが歌を歌うシーン。監督が絶賛していましたけど、本当に素敵でした。町子とのラブシーンも、お母さんと優しく会話をするシーンも、上海のおじさんの独特な存在感も、確かに悲惨なはずのこの原爆の話の中にはしっかりとそういった温かいシーンが核を成していて、じんわりと、ひっそりと、そういう表現が似合うような感情を抱かせてくれました。




素敵な作品を本当にありがとうございます。
何度かまた観に行く予定ですので、解釈や感じるものは変わっていくと思います。まず映画だけを観て純粋に自分が感じたことを書き留めさせていただきました。